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タヒチアンダンスとは?

タヒチアンダンスは、ポリネシア諸島に伝わる南国タヒチ(フランス領ポリネシア)の伝統舞踊です。
文字文化を持たなかった古代ポリネシアの人々にとって、「踊ること」は神々に祈りを捧げたり、物語を後世に伝えていったりと特別な意味を持つ表現方法でした。
元々は島の住人が踊っていたわけではなく、祭りや祈りの場に「アリオイ」と呼ばれる男女からなる旅芸人を招き、戦いと豊穣の神「オロ」への信仰を表現していたのが起源です。
具体的に何世紀ごろから始まったものか定かではありませんが、大航海時代が訪れた16~17世紀にヨーロッパからやって来た宣教師がキリスト教への改宗と共に「露出が多く官能的である」とタヒチアンダンスを全面禁止、以降ダンスの復活と禁止を幾度となく繰り返しながらもタヒチの人々は伝統を守り続けました。
19世紀半ばに差し掛かり、この悪しき清教徒主義を撤廃しようと「マドレーヌ・モウア」という名前の一人の女性が立ち上がり、初のプロダンスグループ「ヘイヴァ」が誕生。彼女は当時の風潮に反した、ヤシの実の殻のブラジャーや、下にパレオをまかないモレなど、肌を見せる衣装をあえて取り入れ、ヘッドドレスも高くそびえるデザインにしました。
振付やショーの構成などもモウアによって進化を遂げ、のちにヘイヴァから派生したグループが次々と誕生し、今も毎年7月に行われる祭りの目玉となって伝統を守り続けています。

タヒチアンダンスの始まりは『Otea(オテア)』と『Aparima(アパリマ)』の2種類だったとされていて、現在のタヒチアンダンスの種類は『Otea(オテア)』、『Aparima(アパリマ)』、『Paoa(パオア)』、『Hivinau(ヒヴィナウ)』の4つに分かれています。

Otea(オテア)

オテアは激しく腰を回して踊る情熱的なダンスです。オテアはタヒチアンダンスの中でも特に有名な踊りで、神話や言い伝えを体で表現するときや、戦いの前などに精神を高揚させるため踊るものとされていました。
テーマを中心に振付をされ、Toere・Faatete・Pahu(タヒチの伝統楽器)などで伴奏を付けた“Pahe”と呼ばれる、リズミカルな調べに合わせて激しく踊ります。
元々は男性のための戦闘的な意味合いを持つダンスだったそうですが、現在はタヒチアンダンスの中で最も有名なものとなり、男性と女性の両方によって踊られています。
男女で踊る”Otea Amui(オテア アムイ)”、男性だけで踊る”Otea Tane”  (オテア タネ)、女性だけで踊る”Otea Vahine”(オテア ヴァヒネ)と3つに分かれています。
男性は足を、女性は腰を激しく動かすのが特徴です。女性は1分間に最高200回以上腰を振ることがあるため、その動作の激しさからダイエットに効果的とされ、日本でも知名度が高まってきました。

Aparima(アパリマ)

AparimaのApaは表現、rimaは手を意味し、音楽に合わせながら物語を手で表現するダンスです。
無言でパントマイムのように通常中腰で踊られ、オテアと同じバンドによって伴奏されます。
踊り手が手で歴史や物語を語りますが、打楽器に合わせて、ひざまずいてのパントマイムのような『アパリマ・ヴァヴァ』と、弦楽器の合奏と賛歌に合わせて大きく動く『アパリマ・ヒメネ』があります。

また、Aparima Himeneは、弦楽器と共に歌いながら踊ります。
男性および女性のダンサーは半円になってしゃがみ、男女のペアが、「Hi!」と 「Ha!」の掛け声で立ち上がり、半円の中で短いダンスをします。独唱者はテーマを与えて、合唱団はそれに答えます。
このダンスはタパ布を作るジェスチャーから来たように思われています。
女が円になって踊り、男性独唱者が1フレーズ歌うと踊り手たちが同じフレーズを合唱をします。
さまざまな打楽器による伴奏は、踊り手の歌で速度を保ちます。
このダンスの名前の由来は、キャプスタン又はアンカー・ウィンチ(どちらも船の錨を巻き上げる装置)を操縦している船員の英語”Heave now(錨を上げるぞ)!”から派生したと考えられているそうです。
男性の独唱者が歌った後に、合唱団がそのフレーズを引き継ぐ構成の歌で、
ダンサーの「Hiri ha aha ha!!」の掛け声がリズムになっています。

Paoa(パオア)

この踊りは、タパ(樹皮から作る布)を作る動きに由来すると言われています。
男性と女性の踊り手がそれぞれ半円を作りしゃがみ、全体で大きな円を作るように座ります。
男性の独唱者が主題を歌い、その主題に合わせて踊り手が合唱します。
男女のカップルが立ち上がり、円の中心で「ヒ(hi)」「ハ(ha)」の掛け声に合わせて立ち上がり、半円の中で短いダンスを踊ります。